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最高裁判所第二小法廷 昭和38年(オ)854号 判決 1964年5月29日

上告人

渋野忠三

上告人

坂博愛

上告人

浅野忠義

右三名訴訟代理人弁護士

春原源太郎

被上告人

中村宮太郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人春原源太郎の上告理由第一について。

所論は、要するに、原春が上告人らの弁論再開の申請を許さなかつたのは違法であるというのである。しかし、いつたん終結した弁論を再開すると否とは当該裁判所の自由裁量によつて決し得るところである、原審が、弁論終結後に上告人らがした所論のような弁論再開の申請を顧ることなく、判決をしたからといつて、所論のような違法があるとはいえない。所論は採用できない。

同第二について。

上告人らは、原審において、本件(一)の家屋の占有権原として、右家屋はもと訴外浅野周一の所有であつたが、昭和二五年訴外浅野木工有限会社設立と同時に右訴外会社が浅野周一より賃料一ケ月二、〇〇〇円の約定でこれを賃借使用し現在に至つているものであり、上告人浅野忠三は右訴外会社の従業員として右家屋を管理するため終始これに居住してきたものである旨抗弁したのが、これに対し、原審は、第一審判決を引用し、訴外浅野木工有限会社が昭和二五年一二月二三日設立と同時にその本店を本件土地所在地に定めていることが認められるけれども、右訴外会社設立以来上告人浅野忠三の亡父訴外浅野周一を中心に親子兄弟をその構成員としたいわゆる家族会社であることが認められ、右訴外会社は名目上、形式上の存在を有するだけあつて、同会社による事業は実質においては訴外浅野周一、上告人浅野忠三個人の経営となんら選ぶところがないことが窺われ、右訴外会社が訴外浅野周一から賃料一ケ月金二、〇〇〇の約定で賃借している旨の証人浅野定義、上告人浅野忠三の本人尋問の結果は甲第三、四、五号証の記載に比照したやすく信用するわけにいかず、他に上告人ら主張の右抗弁事実を立証するに足る証拠はない旨判断したうえ、本件(一)の家屋を共同して占有している上告人らに対し、その明渡を求める被上告人の本訴請求を認容すべき旨判断したのであり、右判断は正当として是認できる。しかして、右請求ならびに抗弁の当否を判断するにつき、右訴外会社が原審口頭弁論終結当時において本店を右家屋の所在地に定めていることにより右家屋を占有しているか否かのごときは元来関係のないことである。所論は判決に響影のない事項につき無用の論議を展開するものであり、採用できない。

同第三について。

第一審判決が、前記のごとく、訴外会社を家族会社と称し、また、その経営は個人の経営と選ぶところがないと判示したのは、同会社が設立以来亡浅野周一を中心に親子兄弟をその構成員とし、それらの者によつて、経営されている事実を指称したものであることは判文上明らかであり、該事実は挙示の証拠によつて首肯できる。しかして、第一審判決が、かかる事実を判示したのは、訴外会社が亡浅野周一から本件(一)の家屋を賃借した旨の上告人らの主張を肯認し難いと判断した理由の一を挙げた趣旨にほかならず、所論のごとく、訴外会社がいわゆる家族会社であるから法律上存在しないとか、構成員個人の人格に吸収されるとかは毫も判示していないこと明瞭である、所論は原審が適法にした事実の認定を非難するか、または、判示を正解しないで原判決に所論の違法があると主張するものであり、採用できない。

同第四について。

原判決の引用する第一審判決の確定したところによれば、被上告人は、本件(一)の家屋および本件土地に対する強制競売手続において、昭和二五年六月一三日競落許可決定を得、右土地家屋の所有権を取得したというのである、右のように不動産強制競売手続において不動産を競落し、その所有権を取得した競落人は、競落代金を完納したときは、競売裁判所に対し、債務者またはその一般承継人の占有にかかる右不動産を引き渡すべき旨の命令を申請し、該命令に基づいて引渡の執行をすることができるのであるが、競落人が、競落物件の占有を取得するため、右引渡命令を申請しこれを執行する方法によることができるからといつ、債務者またはその一般承継人を相手どつて競落物件の引渡または明渡を求める訴を提起することが禁止されるものとは考えられない。そして、記録によれば、上告人浅野忠三、同浅野忠義は他の相続人六名とともに、被上告人を相手どつて、名古屋地方裁判所に対し、昭和三八年二月中所有権確認請求訴訟を提起し、本件土地および本件(一)の家屋が右相続人八名の所有であることを確認する等の判決を求め、被上告人の所有権を否認していることが認められるのであり。かかる事情のもとにおいては、被上告人が上告人浅野忠三、同浅野忠義に対し本件(一)の家屋および本件土地中本件(二)の家屋の床面積部分の明渡を請求することは訴の利益に欠けるところはないものといわなければならない。したがつて、本訴は違法であり、叙上に反する見地に立つて原判決を論議する所論は採用できない。

同第五について。

被上告人は原審において、本件(一)の家屋および本件土地に対する上告人らの共同不法占有を理由に、一カ月五、〇〇〇円の割合による右土地家屋使用料相当額の損害賠償を請求し、原審は、右請求を認容すべきものと判断し、上告人らに対し右土地家屋の賃料相当額一カ月五、四五二円の中請求にかかる一ケ月五、〇〇〇円の割合の範囲内において全員の支払を命じたものであることは、原判決およびその引用する第一審判決に徴して明らかであり、右判断はもとより正当である。

(1)について。右判断は、被上告人が原審において訂正した主張に基づいてなされたものであり、論旨(1)はこの点を正解しないものである。

(2)について。原審が本件土地のみの使用料相当額を一カ月五、〇〇〇円と認めたものでないことは明らかである。論旨(2)はこの点を正解しないで立論するものである。

(3)について。前示のごとく、原審は、本件(一)の家屋ならびに本件土地の不法占有を理由に、右土地家屋の賃料相当額の損害金の支払を命じたものであり、右判断の正当なことは前示のとおりである。論旨は原審の認定と相容れない事実に立脚して右判断を非難する以上に出ない。

(4)について。原審が、上告人らに一カ月五、〇〇〇円の割合による損害金の支払義務があると判断したのは、上告人らが被告人所有の本件(一)の家屋および本件土地を共同して不法占有していることを理由とする。このように数人が共同して他人所有の不動産を不法に占有して損害を被らせた場合には、「各自連帯ニテ其賠償ノ責ニ任ス」べきことは民法七一九条一項の判定により明らかである。これに反する見解に立つ所論はあたらない。

要するに所論は原判示を正解せず、または独自の見解に立脚し、原判決に所論の違法があると主張するものであり、採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官奥野健一 裁判官山田作之助 城戸芳彦 石田和外)

上告代理人春原源太郎の上告理由

第一、本件家屋に対する所有権確認の訴訟(別訴)と本件家屋明渡請求事件との関係。口頭弁論再開の不許。

被上告人が本件において家屋明渡を請求するのは、所有権に基くもので、その所有権取得の原因は「昭和三五年六月一三日の競落許可決定を原因として、これを取得した旨の所有権移転登記手続がなされている」(第一審判決理由……原判決は判決理由において「其の理由は左記に訂正附加する外原判決理由と同一であるから之を引用する」となつているので、以下原判決の判決理由として引用するの殆んど第一審判決理由に従つて論ずることになる)被上告人は名古屋地方裁判所昭和三四年(ヌ)第一八二、二〇五、二〇七号不動産強制競売事件の競落許可決定により、昭和三五年六月一三日所有権を取得し、同年九月三日所有権移転登記をしている。

これに対し上告人等は第一審以来被上告人である「原告においてこれが所有権を取得できない」と主張してきた。

上告人等が、被上告人は「本件家屋の所有権者たり得ない」ことを主張する理由として、前主浅野周一は右競落許可決定後に死亡しているので、競落により所有権を取得し得ないとの主張理由に対しては「競落物件の所有権移転の時期は競落許可決定のときと解すべきである」として、この抗弁を排斤している。

ところが本件家屋は次の如く、現存しない家屋に対する競売であり、競落許可決定であることが問題である。抽象的に登記簿記載に従つて競売が行われた場合においても、それは取毀しによつて現存しない建物である、上告人は第一、二審において「原告においてこれが所有権を取得できない」ことを主張してきたが、この点は当事者双方から提出の証拠によつて窺い得る程度で、原審の口頭弁論終結までに、はつきり抗弁として主張されてなかつた。よつて、この点を明にするため口頭弁論の再開の申立てたが、原審ではこれを許さず判決を言渡した。

上告人等が口頭弁論の再開を求めた理由は記録添付の申立書記載の如く

(1) 本件家屋の所有権自体につき、名古屋地方裁判所において所有権確認事件(昭和三八年(ワ)第二五九号)として別訴が係属中であること、

本件家屋明渡事件の被告は上告人等三名であるが、右別件の所有権確認事件の原告は、坂ゆき子外七名で、本件においてもこの点は既に明になつているように、前主浅野周一の死亡により右八名が相続した。前述競落許可決定の当時には前主浅野周一は重病のため入院中(その後死亡)であつたため、競落許可決定のあつた事実すら知らず、死亡により前記八名が相続財産として関係をもつようになり判明した事実によると、後述の如く現存しない家屋に対する競売であるということである。

前記八名は共有財産であるために、所有権確認訴訟のために全員共同して訴訟を提起しなければならない。(必要的共同訴訟)本件上告人等とは内部的に多少利害関係の一致しがたい点もあるが、要するに本件家屋については、前記八名と被上告人とは所有権確認事件において所有権の帰属が争われている建物である。(このことは口頭弁論再開申立添付の名古屋地方裁判所の期日呼出状、訴状によつて明白なことである)

家屋明渡の請求訴訟事件において、当該家屋の所有権が甲、乙いづれにあるか争われている場合には、仮りに甲に対しては明渡の理由ある場合においても、乙に対する関係においては明渡の理由が認められない場合もある。明渡を要求される居住者は正当な権利者に対してのみ明渡をしなければならない。そのためには甲乙いづれが正当な権利者(所有権者)であるか決めることが「先決的関係」に立つ。所有権確認事件の結果が明になるまでは家屋明渡事件の結論を出し得ないことは理論上当然のことである。所有権確認事件の結果が甲、乙いづれに認められようと仮りに甲のために明渡請求を認めておくというようなことは、許さるべきことではない。不当に明渡の執行を行つたなどの場合にはこれを救済するの途がないことになる。前後矛盾する判決を防止し、或はさきに明渡の判決があつたゝめに後の所有権確認の判決を左右するようなことのないようにするためにはこの「先決的関係」を明にすることは守られなければならない。本件は所有権に基く明渡の請求事件である。

(2) 所有権確認事件の請求原因は、前述の如く被上告人は本件家屋の所有権者たり得るか否か。被上告人は名古屋地方裁判所執行吏役場に出入の俗に「競売屋」といわれている人達で、強制執行に当り一般人が法律手続に無智であるのに乗じ、自分達は競売屋で、自分が競落して所有者となるのが目的ではないから、僅かの手数料で世話をしてあげると申向け、予め競落の世話をする旨の交渉をしておき競落になると所有権者と主張し、ときに競落価格の二倍以上の価格で買取を求め、これに応じないときは所有権者の立場をとるということである。恐らく各地の裁判所に執行上の弊害続出が訴えられていることであろうが、実効ある取締は困難である。本件も名古屋地方裁判所に現れた実例の一つである。

このような例は、裁判所の行う強制執行に当り、執行吏役場に出入して競売を職業の如くする人達もときに必要とする場合があることは、制度の必要上やむを得ないことであるが、前述の如き事実が認められるときは、その競落は公序良俗に反する無効のものとして、法的秩序が守られなければならない。百の遵法喧伝よりも一の秩序が厳守されることのほうが必要である。

また、本件家屋は現存しないものを、登記のまゝ強制執行として競売手続が行われたものである。建物の登記を見ると

昭和三一年八月二二日受付

名古屋市中川区八熊町字大池九百五拾八番

家屋番号第二四番

(イ) 一、木造瓦葺二階建居宅

建坪 十六坪一合

外二階 十六坪一合

(ロ) 一、木造瓦葺平家建居宅

建坪 四坪二合

(ハ) 一、木造瓦葺平屋建居宅

建坪 四坪六合

(ニ) 一、木造瓦葺平屋建居宅

建坪 参合

(ホ) 一、木造亜鉛メツキ鋼板葺平屋建居宅  建坪 四坪三合

(ヘ) 一、木造亜鉛メツキ鋼板葺平屋建居宅  建坪 二坪二合

となつているが、右建物は一棟も現存しない。

競落許可決定では坪数の一致しないところは、執行吏の賃貸取調調書(添付書類)にあわせて「建増」として競落から除外することにしてあるが、坪数の一致しないのが当然で、一棟の建物の一部分を右の如く区切つて表示しただけのものである。従つて不動産引渡命令(甲第二号証)も競落除外部分は引渡からも除外している。仮りに建増として附合した部分は一体となつているのではないだろうか。

紙面の上だけで坪数を合せてみるとしても、

(イ) 一、木造瓦葺二階建居宅

建坪 十六坪一合

外二階 十六坪一合

の外は(ロ)ないし(ヘ)の家屋は競落許可決定にも除外されていることになつているが、(登記は前記(イ)ないし(ヘ)の家屋に対し行われているが……甲第一号証……引渡命令には(ロ)ないし(ヘ)の家屋は除外されている……これによつても家屋の現状が著しく変つていることは判明する)この除外家屋の坪数だけでも合計すると「十五坪二合」になる。

右(イ)ないし(ヘ)の家屋が現存しない理由は、家屋所在地である名古屋市中川区は名古屋市復興土地区画整理事業施行により昭和二八年換地のため、既存建物は取毀し、前記建物の存在した場所は現在道路になつている。

このことは本件に提出されている証拠の程度でも略窺うことができる。甲第一号証によると本件家屋の登記は旧建物の証明のまゝ昭和三二年八月二二日登記受付となつているが、その敷地は(従前の土地)名古屋市中川区八熊町大字大池九五八から(換地)同市中川区荒江町四丁目四二番地とあるように、土地とその地上にある家屋とが町名番地を異にするということは、それだけでも前記問題の所在を気付くことである。換地による場所の変更は昭和三五年七月七日受付登記(甲第二号証)になつている。

原判決は、原審に提出されていた証拠の範囲においても、前後を対照するときは以上の如き事実は容易に判明し得べきことであり、上告人が別訴において本件家屋は現存しないこと、現存する家屋に対する所有権確認訴訟が係属中であることを疏明して口頭弁論の再開を求めたにもかゝわらず、これを許さず如上の事実を無視して判決したことは違法である。民事訴訟法第一三三条は「裁判所ハ終結シタル口頭弁論ノ再開ヲ命スルコトヲ得」る旨を規定する。本条は再開を命ずるか否かは裁判所の自由なる判断に任せたものであることは言うまでもない。しかしながら、本件は前述のような本件判決に至るには先決的問題のあること、別訴の存在を明にして再開を求めたに対し、これを許さずむしろ裁判所の釈明権行使の機会を失い判決したことは同条の違反である。或は如上の点は審理不尽、釈明権の不行使による理由不備の違法ある判決といわなければならない。

第二、会社の本店所在地と居住

原判決は(前記のように第一審判決理由の引用)上告人の抗弁について「そこで、被告等の抗弁について判断する。……成立に争のない乙第一号証によれば、訴外浅野木工有限会社が昭和二五年一二月二三日設立と同時にその本店を本件土地所在地にきめていることが認められ……けれども……右訴外会社は設立以来被告浅野忠三の亡父訴外浅野周一を中心に親子兄弟をその構成員としたいわゆる家族会社であることが認められ、右訴外会社は名目上、形式上の存在を有するだけであつて、同会社による事業は実質においては訴外浅野周一、被告浅野忠三個人の経営と何等選ぶところがないことが窺われ……他に被告主張の右抗弁事実を立証するに足る証拠はない」として排斥している。そこで問題は

(1) まづ第一に、立証責任転換の法則を誤つていることである。後述の如く商法、有限会社法ともに、会社の本拠である本店所在地は登記事項である。本店の存在しない会社は認められていない。従つて、登記の場所に会社の本拠が存在しないか、業務を営んでいないことを主張するものがこれを立証する責任があり乙第一号証登記簿謄本を提立して会社の存在を立証した上告人等がさらに立証すべき事項ではない。原判決がこの立証責任を上告人等に課し、「右抗弁事実を立証するに足る証拠はない」と判決したことは採証の法則を誤つた違法がある。

(2) 或は本件家屋明渡請求事件は、右訴外会社に対し明渡を求めている事件ではないから、訴外会社本店の所在(本拠)を主張することは無意味であるということか。

(3) 会社が有限会社であるために、有限会社本会所在地として登記してあつても、独立した本拠(住所、場所)は存在しないということであるのか。

(4) 有限会社という独立した会社であつても「家族会社」であるときは、自然人とは別に独立した住所は存在しないということであるのか。

後述のように「家族会社」とは、法律上どの会社を指していうことであるのかまた、何によつて「家族会社」ということを決めるか。構成員を中心としてきめることであるのか、経営の代表者によつて決めることであるのか等の問題がある。

(5) 或は有限会社が家族会社であるときは、その構成員又は個人に対する明渡請求をするだけで充分であつて、会社はその個人とともに明渡さねばならない(会社に対しては明渡の請求を要せず)ということであるか。

等の問題が解決されていない、

各人の生活の本拠は「住所」である。家屋明渡請求事件における占有、居住はここにいう住所と異なることは言うまでもないが、本処、住所、居住によつて占有するものであることもまた言うまでもない。生活の本拠は自然人に限られることではなく、法人にもその主体の本拠(住所)を有することは説明するまでもない。会社は株式会社、合名、合資会社或は有限会社のいづれであつても、本店所在地が本拠であり本拠即ち法人の住所である。本店所在地は登記事項であり、これを変更したときは変更登記をしなければならない。(商法六四、一四七、一八八、有限会社法一三条)会社の本店は登記の場所に存在する。第一審判決も「訴外浅野木工有限会社か昭和二五年一二月二三日設立と同時にその本店を本件土地所在地にきめていることか認められ」と、本店所在地が本件家屋の所在に登記されていることを認めている。本件土地所在地という用語は不明確であるが、土地の上にこつ然として住所が存在するものではないから、本件土地に建物の存在する場所であることは言うまでもない。右訴外会社の存在及び右の場所に本店存在の事実が認められながら(会社は解散したのではない。解散したとしてもその本拠の存在を要する。)この会社は「家族会社であるために、独立した本拠の事実は否定されるというのが原判決の理論である。

この点は、今後会社の本店所在地と、その本拠所在(法人にも住所)との関係において議論の残ることであると考えるから、判例は明確に理論を示されることを望む。会社は存在するが、会社には独立した住所は存在しないということであるのか、(恐らくこのような理論は認められない(独立した存在を認め得ない会社であるということであるのか。独立した存在を認め得ない会社ということであるとすれば、独立した存在を認め得る会社と、独立の存在を認め得ない会社とを区別する標準を、いづれに定むべきであるか。家屋明渡の問題のみならず、民法上の住所論、商法上の本店所在論とともに、多くの問題をもつ論点と考えられる。

借家一般の議論としては、家屋の賃借人が個人である場合に、その家屋を本店所在地とするも、賃借人が会社の代表者又は構成員であるときにはすべて居住者に変更はないものとし、賃貸借契約違反の問題は起らないこと、或は家族会社の場合にはその問題は起らないとすれば、家族会社の意義を決定しておくことが重要な問題となつてくる。民法上の住所論としても、その会社がいかなる会社であろうと、個人と会社では区別して観念されなければならない。たまたま当該会社の代表者又は構成員が居住者と同一人であつても、会社の住所(本拠)と個人の住所とは「同一」であるということはできない。まは仮りに同一場所であつたとしても、判決主文に示されていない限り、たとい判決理由に記載されていたとしても、個人に対する判決の効力が、会社にまで及ぶということはあり得ないことである。

会社法上の本店という意味は、必ずしも実在を意味するものではなく抽象的に登記の場所に存在しなければならないというだけであるか。現今の会社の実態としては一応考えられる多くの問題があることは否定できない。法律上、人(自然人、法人)の生活の本拠は住所であり、会社ではこれを本店という。社会経済生活の複雑化に従い人(自然人)の生活の本拠即ち住所は物理的な円の中心の如く理解すべきではなく住所複数説すら論じられた程である。しかるに本件の場合で言えば、本拠(住所)を有しないか、或は本拠が自然人の住所に吸収され、そのために独立の本拠を有しない法人の存在を肯定した判決ということになる。

実在する住所と、抽象的に存在する本拠とは自ら異ることは認めなければならないが、少くとも本拠に存在しない法人の存在を肯定する法律論、或は自然人の住所に吸収される法人の本拠(たまたま自然人と住所を同じくするという意味ではなく)があることを示した原判決の法律論に対しては、その適否が判例によつて明にされなければならない。

これらの点を考慮に入れて原判決を見るとき、本件は右訴外会社をも被告として訴えられている事件ではないから、訴外会社の存在を主張する抗弁は、被告の抗弁として本件には適切でないというのであれば、その理由は、それだけで合理的であろう。しかし、原判決は本件家屋の全部に対する明渡の請求を認めているのであるから、右理由の合理的であると否とにかゝわらず、本件家屋は被告等三名の占有として明渡を認めたことになる。

いづれにしても、原判決は法律の解釈適用を誤り、審理不尽、判決理由に前後の矛盾があることの非難は免れない。

第三、「家族会社」の意義

判決には「家族会社」の語が用いられているが、本件で「家族会社」ということの意味が明確を欠くことは、家族会社とはどんな会社のことを指すのか、次に家族会社と認められたときには、独立の存在は認められないということであるのか。

これら重要な問題が解決されていないことは、審理不尽、理由不備の上告理由となり、また法律の適用を誤つた違法となる。

比較する法令の体系は異るが、法人税法には「同族会社」(第七条の二)なる用語を用い、同族会社の基準を定めているが「家族会社」とは同族会社のことであるか否か。家族会社とは右にいう「同族会社」のことであるとするならば意味ははつきりする。恐らく原判決のいう家族会社とは同族会社のことではない。税法上は同族会社と一般の会社とを区別して課税することになつているが、同族会社であるからといつて本店の所在(本拠)を否定する立前にはなつていない。むしろ本店所在地において会社の業務が行われていること、その存在を認めることを前提とする規定となつている。

原判決(一審判決理由の引用)は「家族会社」の意義を述べて

「右訴外会社は設立以来被告浅野忠三の亡父浅野周一を中心に親子兄弟をその構成員とする……同会社による事業は実質において……個人の経営と何等選ぶところがない」

といつていることは、このような会社は、会社としてその存在を認めることはできないという意味であるのか、会社の存在自体は否定することはできないが、(判決理由に会社の構成員……同会社による事業は実質において……といつていることは会社の存在すること自体は認めての立論である)そのような会社は個人に吸収され、従つて独立に存在はしないという意味であるのか。

原判決理由の趣旨も会社とその構成員とは各別個の人格を有することを否定するものではないようである。のみならず、前述「会社による事業は実質において……個人の経営と」と言つていることは、会社と、会社事業の存在とを認めているので、次の問題は、「家族会社」の定義と、家族会社であるときには事業も本拠も個人に吸収される、とする理論上の根拠を追及してみなければならないことになる。

原判決のいう「家族会社」は法律上の用語ではないが、その意義を決定するために判決理由によると「構成員が親子兄弟であること」と「事業は実質において訴外浅野周一、被告浅野忠三個人の経営と選ぶところがない」ということが「家族会社」の要件として挙げられている。比較が適切でないことは前述の通りであるが、税法上は「同族会社」の意味が法律上定義されている。法人税法第七条の二の如きは第一項第一号ないし第五号において、同族関係者の株式又は出資金額によつて、同族会社と認定するための法律上の基準を明にしている。しかも税法上は、これら同族会社に該当する場合であつても、課税を異にするというだけで、その存在を不明にする(本店所在地のない会社)というような意味ではない。原審が特別に「家族会社」ということを認めているので、原審までに提出されている証拠を見ると、訴外会社の構成を証明し得る資料は、訴外会社の登記簿謄本(乙第一号証)だけである。訴外会社は有限会社であるから、登記簿謄本の記載では有限会社法第六条第一号ないし第四号に掲ぐる事項だけである。(同法第一三条二項)原判決が、親子兄弟を会社の構成員とし、と言つているが、右登記簿謄本の記載だけではそのことを明にすることはできない。(定款、その他によつて会社の構成を容易に明にすことができる)また、会社の構成員が親子兄弟であるときには、個人(構成員)とは別個な人格(独立した法人)は成立し得ないということであろうか。

元来有限会社法制定の趣旨は、株式会社の如き大規模繁雑な手続を要せずして、出資の有限なる「会社」を組織し事業を営み得ることを特徴として定められたことは、有限会社に関し一様に論じられている通りである。さすれば、たとい構成員が親子兄弟のみであつたとしても、各出資を有限とし、会社に対する出資によつて事業を経営することは、むしろ有限会社法の正しく認めているところである。親子兄弟であれば常に利害共通するかの考え方があるとすれば誤りで、そのためこそ「出資額」の定めがある。

また原判決が「個人の経営と何等選ぶところがない」と断定していることは、これまた証拠に基かない結論である。また個人経営と選ぶところがないと言つていることは「会社の事業は存在しない」という意味ではなく、会社自体の経営が「個人経営のような経営のしかた」という意味であろう。この点は特に注意して観察する必要がある。そのことが何故会社の存在まで否定されるような結論に結びつかねばならないのであろうか。会社の事業が存在しないというのであれば、存在しないと断定されなければならない。「選ぶところがない」と言うことはことばの言い廻しではなく、会社事業の存在は肯定した表現で、その実質は選ぶところがないということである。

登記謄本によると、浅野周一、浅野忠三は訴外会社の取締役である。取締役が会社の中心にあつて経営する即ち業務を執行することは当然のことであつて、会社法(有限会社法)の要求するところである。当然の業務執行が会社の行為とならない理由について原判決はその理由を示していない。このことは事実審の事実認定のいかんに関する問題ではなく法律論である。

第四、不動産引渡命令の効力

原判決には民事訴訟法第六八六条、第六八七条の解釈適用を誤つた違法がある。民訴法に基く不動産競売において所有権を取得した競落人は、不動産引渡命令によつて引渡(明渡)をうけることができるのであるから、別に訴訟を提起し、明渡を求めることは引渡命令によつては引渡のうけられない部分に限られなければならない。競落人は引渡命令によると、別訴によると選択の自由を有するものではない。殊に本件では競落人に不動産引渡命令が与えられ執行文も附与されている事件である。不動産引渡命令によつて引渡をうけた部分又は引渡命令によつて引渡をうけ得られる部分に対し別訴明渡訴訟は訴されない。

原判決はこの点をも明にしていない違法がある。

記録によると、競落人に対し不動産引渡命令が発せられていること、執行文が附与されていること(相続による被告等に対し)執行吏は引渡執行のため現場に臨んでいることまで知ることできる。

不動産引渡命令には建物について

一、木造瓦葺弐階建居宅

建坪 拾六坪壱合

外弐階 拾六坪壱合

但し階下八畳壱室だけ

と記載されている。即ち引渡命令によつて競落人に引渡を得る物件は「階下八畳一室だけ」と限定されている。(物件の相違等については前述の如くであるが、こゝでは形式的に記録に表れたことを中心として論ずる)なお、引渡命令は前主浅野周一死亡により、その相続人坂ゆき子外七名に対し「強制執行のため」正本が附与されている。これに基く執行吏作成の「不動産引渡催告調書」(甲第三号証)によると、昭和三五年一二月一日執行吏は家屋の占有状態を調査し「本日は此の程度にて引渡準備の都合上次回引渡期日の指定方申立たるにより」次回期日を定めている。

(1) 右調書記載の執行吏の調査した家屋の占有状態によると「階下八畳二部屋」とある。恐らく引渡命令記載の階下八畳壱室だけというのは、この八畳二部屋のうち、いづれか一部屋を指すものであろう。

(こゝで、前述建物相違の点について、あらためて留意しておきたい。競売事件では家屋の坪数不一致を建増ということにして片付けてあるが、それは執行吏の賃貸借取調調書の記載に合わせたものである、ところが右賃貸借取調調書には、「階下八畳二部屋」というような記載はない)

(2) 右二部屋の占有者は「浅野忠三夫婦に於て使用」となつている。浅野忠三は前記引渡命令の承継執行文に記載されている前主浅野周一の承継人である。(執行吏の調書にも、当事者の表示に債務者として「浅野忠三」が記載されている。この債務者占有部分につき、引渡(明渡)の執行正本に基く強制執行の結果はどうなつたか。原判決に記載はない。

引渡の執行が行われたとすれば、この部分は本訴明渡から除外されなければならない。まだ執行されていないとすれば、引渡命令によつて引渡の実行され得る分部の訴は、確定判決にあるものに対する訴と同視されなければならない。いづれにせよこの部分に対する訴は不適法である。

第三者占有中の物件に対しては、競落許可決定あるも、その占有を害することはできないので、引渡命令によつて執行することはできない。しかしながら債務者占有中の物件に対しては、競落人に附与される不動産引渡命令と、これに基く執行によつて、強制執行として明渡が実行される。民訴法第六八七条二、三項に「引渡アルママテ管理」の方法を定めてあることは、競落人は代金の全額を支払つたのちでなければ不動産の引渡を求めることはできないので、競落許可決定の確定前に於ても債務者の占有を解き現状維持を図ることも認められている。本件は前述の如く、執行の引渡執行に臨んだときも引渡命令記載の部分は債務者の占有中であつたことが記録上も明なところである。

不動産引渡命令によつて命令に記載の物件を競落人に引渡すということは、競落人に占有を移転することである。物件が家屋である場合、引渡とは明渡のことであるか、債務者の占有を解き競落人にその占有が移されるためには、債務者に対しては明渡である。競落人は民訴法第六八七条により自己に引渡を求めることができるとゝもに「代金額を支払つた競落人は執行裁判所に直接自己のために不動産の引渡命令をもとめうべく、別訴による必要はない」(大決・昭四、一一、二一)ことになる。

本件においても既に不動産引渡命令が発せられている。(家屋については八畳一室だけ)競落人が不法占有者に対しては別訴によつて明渡を求め得る(大判・昭一二、四、二三)ということは、引渡命令に拘束される債務者を含まないことは言うまでもない。従つて競落人を原告とする本件においては、不動産引渡命令と明渡訴訟との関係につき、引渡命令が発せられているか否か、引渡命令によつて明渡の有無及び事由は当然判決理由に明にしなければならない事柄である。原判決がこの点に触れていないことは、前叙引渡命令に関する民訴法の解釈適用を誤り釈明権を不行使により審理を尽さず、判決理由の不備矛盾を免れない。<以下省略>

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